K RETURN OF KINGS After Stories

著 鈴木鈴
「ちーっす――、って、おお?」
「あれ? 今日って、なんかの集まりか?」
 バーHOMRAに足を踏み入れて、八田美咲はまず目を瞠り、鎌本力夫は不思議そうな声をあげた。
《吠舞羅》の主要メンツが、全員揃っていたのだ。ソファに座る赤城と坂東、カウンターで駄弁っていた千歳と出羽、スマホを覗き込んでいたエリックと8ミリカメラを弄っていた藤島が、それぞれの挨拶を二人に返した。
 こうして全員が揃うことは稀であった。それぞれには、それぞれの生活というものがあるからだ。
「や、別になんの日でもないですけど、たまたま集まっちゃったんですよね」
 赤城が照れたように笑いながらそう言い、他のメンツも頷く。
 八田はそれを聞いて、なんとなく嬉しくなった。
『あの事件』のあとも、《吠舞羅》はまだ、確かにここにあると思えたからだ。
「そっかそっか! まあゆっくりしてけよ!」
「アホ。おまえの店ちゃうやろ」
 呆れたように突っ込んだのは、カウンターの向こうで仕込みをしているバーの主・草薙出雲だ。「うっす!」と元気よく返しながら、八田はスツールに腰かけ、それから周囲を見渡した。
「アンナは二階すか?」
「外出しとるで」
「えっ――」
 大丈夫なんすか、と言おうとして、八田は口を噤む。
 大丈夫もなにも、今やアンナに危害を加えるような勢力はどこにも存在しない。仮に害意を抱くものがいたとしても、彼女はれっきとした《赤の王》なのだ。自分の身は自分で守れるだろう。
 八田は唇を微妙な形に歪ませ、拳でごんごんと自らのこめかみを叩いた。
 草薙は火の付いたタバコを片手にしながら、にやりと笑う。
「なんや、心配なんか? 八田ちゃんも過保護やな」
「そ、そんなんじゃないっすよ! ただ、その、慣れないっていうか――」
 思えばアンナと出会ってから今に至るまで、彼女がひとりきりで外に出るということは、ほとんどなかったはずだ。基本的に室内を好む性格だし、外に出るときも誰かについていく、ということのほうが多かったように思う。
 そんなふうに考える八田に、草薙は呆れて肩をすくめる。
「慣れてもらわんと困るな。アンナも次の春から中学生なんやし」
 アンナが、中学生――。
 わかっていたこととはいえ、その事実に八田は絶句し、物思いに沈んだ。
《吠舞羅》の中で、アンナほど壮絶な人生を送ってきた人間はほとんどいないだろう。石盤がもたらしたさまざまな事情によって、彼女は学校とは縁のない人生を歩んできた。草薙たちの手で教育こそ受けてきたものの、アンナが同い年の子供たちに混じって通学する――という絵面は、なかなか想像しがたいものがあった。
 が、もう数ヶ月もしないうちに、それは現実のものとなる。
 石盤が消滅すると同時に、アンナが学校に通わない理由も消えてなくなった。草薙のツテで近所の中学校に入学することになり、アンナも特に異は唱えなかったという。
 しかし。
「……アンナが、中学生か……」
 ぼそりとつぶやいた独り言は、やけに大きくバーの中に響いた。
 ふと気づいて周囲を見回すと、全員が八田と同じような顔をしていた。ややうつむき、物思いにふけるような、あるいは単純に心配するような表情で、ひそひそと会話を交わしている。
「アンナが……」「中学生……?」「だ、大丈夫なのかな」「なにが」「だから、ほら」「今まで学校に行ったことないわけだろ」「馴染めんのかな」「友達、できるかな?」「アンナ結構目立つもんな」「まさかとは思うけど、い、イジメとか――!」
 八田はいきり立ち、怒りにまかせてカウンターに拳をたたき込んだ。
「はあ!? アンナをイジメるだ!? どこのガキだ出てきやがれ――、あだっ!?」
 その脳天に、草薙は拳をたたき込んだ。
 うずくまった八田を尻目に、草薙はタバコの灰を灰皿に落とし、
「あのなあ、おまえら、落ち着いてよう考えてみろ。アンナがその辺のガキにイジメられるようなタマか?」
 そりゃそうだ。アンナは《赤の王》なのだ。石盤が消滅し、ダモクレスの剣が現れなくなったとはいえ、その辺に転がる暴力団風情なら単独でシメられるくらいの戦力を有している。中学生ごとき、全校生徒が束になっても敵わないだろう――そういう問題か? という気もするが。
 と、鎌本が、場を和ませるように言う。
「そ、そうっすよ! アンナは無口だけど、優しいし、頭良いし、肝っ玉も据わってる。イジメなんてもちろん、友達もすぐできますって!」
 その言葉に、安堵がじわりとバーの中に広がっていく。それぞれの表情が明るくなり、「うんうん」「そうだよな」というつぶやきが聞こえる。
 千歳が調子よく、明るい声をあげた。
「そうそう! なにより可愛いしな! きっとすぐにクラスの人気者になるさ。そんで、そのうち彼氏とかできて……そんで……」
 アンナに、彼氏――。
 ありうべきこととはいえ、その事実に八田は絶句し、物思いに沈んだ。
 そして周りの連中も(言った本人の千歳ですら)、八田と同じようにその可能性に打ちのめされ、おろおろと狼狽したり、この世の終わりのような顔でふさぎ込んだりしていた。
 草薙はそんな連中を、呆れ果てた表情で見渡して、タバコをくわえ、煙を吐き出しながら言った。
「あのな、おまえらな――」
 そのとき、バーの扉が開いた。
「ただいま」
 アンナだった。
 びしりと凍り付いたバーの空気に、アンナは不思議そうにまばたきをした。アホどものアホ会話など伝える必要はないと判断したか、草薙はいつも通りの温かい微笑みを浮かべ、軽く片手を上げる。
「おう、おかえり。通学路、ちゃんと覚えられたか?」
「うん」
 アンナは自分用のスツールに腰かける。草薙は、そんなアンナの表情を窺って、意外そうに尋ねた。
「なんか明るい顔しとるけど、おもろいもんでもあったか?」
 問い返されて、アンナは頷き、少し考えてから言った。
「知り合いの、男の子に会った」
 ……。
「また、話したいと思った」
 八田はバーの中を見回した。
 全員の口が開いていた。
 その中で、ただひとり冷静な草薙だけが、タバコをもみ消し、また新たなタバコを取り出して、それに火をつけようとした。
「そっ、そそそ、そうなんか? どど、どんな、どんな男の子や――」
「草薙さんタバコタバコタバコ逆ですそっちフィルターっす火つかないっす!」
 ぶるぶる震えながら動揺を露わにする草薙を、鎌本が慌てて制止する。
 アンナはあどけなく首をかしげ、八田に向かって尋ねた。
「どうしたの?」
 その仕草は普段のアンナとなにも変わらなくて、八田は息を抜くようにして笑った。
「なんでもねえよ」
 自分にも動揺がないと言えば嘘になるし、その男の子はどんな奴だと問いただしたくなる気持ちももちろんあったが、八田はそれをぐっと我慢した。
 今までにはないことが起きている。当たり前だ、と八田は思う。時間は流れているのだから。石盤は消え、自分たちの力もいずれ消え、やがてはひとり二人と、このバーに訪れなくなる日がくるのだろう。だが、その一方で、八田はかつて訣別した親友と再び理解を交わし合い、アンナは今までよりももっと開けた世界に出て行こうとしている――。
 なにもかもは変わっていく。
 でも、変わらないものもある。
「ところでさ! 久々に全員揃ったことだし、写真撮ろうぜ!」
 不意に声を張り上げた八田を、一同はびっくりしたように見た。が、アンナを除く全員が、とりあえずこの話題を保留したいという一念だけで、口々に同意を返した。
「うっし! そんじゃ、鎌本! タイマーよろしく頼むわ!」
「うぃっす!」
 なにもかもは変わっていくけれど、自分たちが今ここにいて、こうして笑っているという事実は、決して変わることはない。この日々が過去になる日が来ても、過去が変わることは決してないのだから。
 そんなことを思いながら、八田は鎌本が構えるカメラに向けて、とびきりの笑顔を向けた。

 その一枚は、バーのコルクボードに飾られることになった。周防や十束、かつてここにいたときの伏見と、同じ場所に。

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