K RETURN OF KINGS After Stories

著 壁井ユカコ
 大型ビジョンを壁面に備えた近未来的なビルが建ち並ぶ鎮目町の街並みの片隅に、時間の流れが何十年か前から停滞しているかのような風景がふと目に入ることがしばしばある。ビルとビルの隙間の翳った場所にひっそりと佇んでいる、瓶ジュースの自動販売機もそんな風景の一つだった。曇った窓にレトロなデザインのコーラや炭酸オレンジの瓶が並んでいる。〝何十年〟もまだ生きていない八田にとっては懐かしいというより目新しく見えるくらいのものだ。
「うぉ、この自販機まだここにあったのか。なんか買おうぜ。コーラでいいよな? おまえこういうカガクチョーミリョーっぽい炭酸の味好きだったよなあ」
「何年前の話だよ」
 浮かれて自販機に駆け寄った八田の背に冷めた声が聞こえた。が、「コーラでいいよ」とまんざらでもない感じの返事がすぐにつけ加えられた。
「なんだよー。一回文句つけねえと気が済まねえのかよ」
 ぼやきつつも八田は上機嫌でコーラを二本買った。「ほらよ」と一本を放ると伏見が危なげなく受け取った。自販機を離れ、二人で肩を並べて再び街を歩きだす。
「会うの何年ぶりだっけ、おまえ? 実も萌もでかくなってるから驚くと思うぜ。実が小六で、えーと……」
「小六と小二、だろ」
「おっそうそう。よく憶えてたな。オレなんか一瞬数えなきゃでてこねえのに」
「わざわざ憶えてたわけじゃねえよ。最後におまえんち行ったのが中三の秋だろ。そこから計算すればすぐわかるし」
 会話のキャッチボールが途切れることなく続くのが、自分から誘ったとはいえ、どうにも痒い。数年間敵対関係にあった親友と二人で連れ立ってでかけるというのは思っていた以上になにか気恥ずかしいものがあった。いつもどおりにしようとしているが、どの時点のいつもどおりが正解なのかと、さっきから半分くらい自信がないまま話している。
 おふくろがどうしても家におまえ連れてこいってうるさくてさと、伏見の休みの日を聞きだして約束を取りつけた。実と萌は母と再婚相手とのあいだにできた弟と妹だ。八田だけが母の連れ子なのである。小学校で萌を迎えてから買い物があると母から途中で連絡があり、合流して家に向かうことになっていた。普段持ち歩いているキーホルダーに今は実家の鍵はつけていない。家をでてからもう五年だ。
 伏見が言ったとおり、最後に二人でこうしてでかけたのなんて何年前の話になるだろう? 二人一緒に入った《吠舞羅》から伏見だけが抜けたのが三年くらい前だが、考えてみれば、その前から二人で歩くっていうことはあまりなくなっていたんじゃないだろうか……。
「憶えてるか? 《吠舞羅》に入る前さ、尊さんと初めて会ったときも、あの自販で買ったコーラ飲んでたんだよな。尊さんが素手でこの瓶溶かすの見てさ、ビビッたよなーあのときは」
「おまえビビッてねえっつってたじゃん」
 素っ気ない言いようで伏見が訂正を入れた。栓を開けずに手慰みにしている瓶に眼鏡越しの視線を落とし、ぽつりと言う。
「今のおれたちなら、あれくらいのことは簡単にできる」
「……ん。そうだよな」
 八田も自分の手もとの瓶を見下ろした。自販機に栓抜きが備わっていたが素手でも開けようと思えば開けられるし、右手に〝力〟を集中させれば、瓶の中の液体を沸騰させることもできる――先に瓶が破裂しそうだったからすぐに力を消した。
 ドレスデン石盤が破壊され、自分たちクランズマンが《王》に与えられた異能の力もこれから薄れていくと聞いている。今のところ八田には身体上の実感はない。
「なあ、もしかの話だけどさ。もしかの話だぞ? もし石盤が最初っからこの世界になかったら、尊さんは《赤の王》じゃなかったし《吠舞羅》もなかったわけじゃん。もし尊さんと会わなかったら、オレたち今頃なにしてたんだろうな? まあオレは今と同じでフリーターやってるかもしれねえか。おまえは普通に高校行って大学行ってたりすんのかな」
「考えたくもねえよ、今と違う未来があった可能性なんて。考えたって意味ねえし、バカバカしいだろ」
「そっか……。猿比古、後悔してねえんだな、今」
 何気なく言った台詞に伏見が意表をつかれたように一瞬こっちを見た。小さな舌打ちをしてすぐに前を向き、
「尊さんが《王》じゃなくても、おまえはどっかで尊さんと会ってたと思うよ」
「なんでだ? なんでそう思うんだ? やっぱ運命とかそういうやつかなっ」
「別に運命なんてたいそうなもんじゃないよ。おまえはもともと鎮目町うろちょろしてたし、尊さんは《王》になる前から鎮目町にシマ張ってて、草薙さんや十束さんともつるんでたんだろ。知りあう可能性なんて普通にあっただろ。どっちにしたって尊さん尊さんってひっついてまわってたのが目に浮かぶよ」
「そ、そっか……」
 客観的な考察に拍子抜けしたものの、「そっか……。そっかあー」次第に嬉しくなってきて、八田はそっか、そっかと何度も頷いた。満足げにうんうん頷く八田に伏見が眉をひそめる。「ひっついてまわってたって言われて嬉しいのかよ。バカじゃね」
 石盤がなくなり、《吠舞羅》の存在までもが薄れゆく未来はどうしたって八田には辛いものだった。十五歳から二十歳までという濃密な五年間、八田の世界は周防と《吠舞羅》を中心とした〝非日常〟の中にあったのだ。
 けれど、もしも世界にもともと石盤が存在しなかったとしても、あの五年間が別のもので置き換わるわけではないというなら、これから戻っていかねばならないのであろう〝日常〟にも、なんとか立ち向かっていけるような気がする。
 《吠舞羅》が今の形のまま有り続けることはできないのだろう。周防が死んでから、自分だけが最後までそれを認めることができずにいた。店から足が遠のいていく仲間たちを薄情だと憤っていた。周防がいた頃のままの《吠舞羅》とバーHOMRAを守り続けなきゃいけないのだと頑迷に固執していた。
 アンナのためにも、ストリートギャングとしての《吠舞羅》からは形を変えていくことになるんだろうと、今は理解している。亡き人たちが大切にしていたものを、未来へときちんと届けるために、変わっていかねばならない。そしてそうなったとき、周防を慕った仲間全員がこれからも同じ道を歩むとは限らない。
 自分の中でそれを受け入れられるようになったら、不思議なことだが、進みはじめた道の先で、かつて袂を分かった親友と再びこうやって肩を並べて歩く日が来た。
 左手首のタンマツが電話の着信を知らせた。
「はいよ。おふくろ?」
『遅くなってごめんねー美咲。萌迎えて買い物終わったところ。今どこ? 猿比古くんも一緒よね?』
 応答した途端タンマツの向こうで母が食い気味に喋りたてた。落ち着いて喋れよと自分のことを棚にあげて八田は微妙にタンマツから顔を引き、
「ああ、猿比古と時間潰してたとこ。そっちこそ今どこだよ?」
 にいちゃーん、という明るい声がタンマツの外から聞こえてきた。
 歩道の先に目をやると、買い物袋をさげた母と妹が手を繋いで歩いてくる姿が見えた。萌が母の手を放して嬉しそうに走ってきた。背負っているというよりまだ背負わされている感じのランドセルが背中で揺れる。
 八田も笑顔で応えて「おう。コケんじゃねえぞー」と注意を投げたときだった。
 車道でけたたましいクラクションの音が鳴り響いた。
 猛スピードで車道を突っ走ってくる一台のバイクがあった。マフラーから赤い炎がジェットエンジンのごとく噴きだしており、ライダーがボディにしがみついてメットの中で「うわあああああ」と悲鳴をあげている。車道を往来する他の車が次々に急ブレーキをかけ、反対車線どうしの車が接触しそうになったりとにわかに周囲がパニックと化した。
「異能の暴走だ」
 伏見の声色がカチリと仕事モードに切り替わった。《jungle》による石盤の解放で突然異能を得てしまった一般人が力を制御できず暴走させる事件が、徐々に減ってきてはいるらしいが未だしばしば起こっている。
「萌!」
 母の声に八田ははっとし、コーラの瓶を宙に投げだして走りだした。こんなときに限ってスケボーは持ってきていない。台車を押している宅配業者が目に入り、「悪ぃ、借りるぜ!」と荷物を蹴落としてその上に飛び乗った。ぎょっとする業者の目の前で全身が赤い光を纏う。アスファルトをひと蹴りした直後、ゴッ、と台車の車輪が炎を噴いてたちまち加速する。
 ストッピー(前輪走行)状態で歩道に乗りあげた暴走バイクの前に滑り込み、台車から飛びおりざま萌を抱きかかえた。
 カカカッ! 間近で硬質な音が響き、スローイングナイフが列をなしてアスファルトに突き立った。三本のナイフが青く輝き、光の糸が絡まりながら伸びあがって虚空に網を形成した。
 もはや運転を放棄して悲鳴をあげるだけのライダーもろとも網がバイクを受けとめた。そのまま網が突き破られん勢いだったが、萌を抱きしめた八田の鼻先で光の網が一段階輝きを増し、バイクを跳ね返した。ライダーは網に捕獲されたがバイクは後方へと吹っ飛んでいき、疾走してきた大型トラックの側壁に激突した。トラックのドライバーが泡を食った顔を窓から突きだした。
 回転しながら空から落ちてきた二本の瓶を伏見がキャッチし、右手でぽんぽんとジャグリングしながら、左手に残ったナイフを袖口に収めた。ジャグラーとマジシャンの合わせ技みたいな芸当を涼しい顔でやってのけた伏見に、通行人や車の窓から顔をだした人々から安堵のどよめきとともに拍手が起こった。

        *

 直ちに駆けつけてきた青服が大破したバイクと錯乱状態のライダーを引き取っていった。石盤の影響が世の中に残っているうちは《セプター4》の仕事がなくなることはないようだ。
「じゃああとは任せた」
「は。伏見さん」
 敬礼する青服を残し、伏見が八田たちが待っているところへ戻ってきた。
「ちぇー。結局おまえにかっこいいとこ持ってかれちまったよなー」
 冗談まじりの(……ちょっと本気の)八田の恨み節をどうでもよさそうにスルーして伏見がコーラを一本投げ渡してきた。一本は萌を助ける際に八田が放りだしたもの、もう一本はナイフを投げる前に伏見が宙に放りあげたものだ。
「そいつにとってはおまえのほうがかっこよかったんじゃねえの、少なくとも」
 そう言って伏見が八田の足もとのほうに目配せをした。視線を落とすと妹の小さな頭があった。泣いてはいなかったが、おどかされた小動物が硬直状態になったみたいな感じでさっきから八田の下半身にびったり貼りついたまま離れない。
 八田は苦笑を漏らして妹の頭を撫で、
「もう大丈夫だって。母ちゃんのほう行きな」
 優しく引き離して母のほうへ押しやった。「萌ー。びっくりしたよね。お母さんもびっくりしたよー」母がしゃがんで萌を抱きしめると、固まっていた感情が母の体温でほどけたのか、萌が母にしがみついて泣き声をあげはじめた。
「ま、いっか。萌のヒーローってことで」
 いつなくなるかわからない〝力〟を、家族を守るために使えたことを、少し誇りに思った。
「行こうぜ。申し送りは済んだ」
「仕事戻らなくて大丈夫なのか?」
「今日は非番だっつったろ。おれがいなくちゃ回らないような案件じゃない。行かなくていいのかよ、おまえんち」
「いや、今日はもう来れねえのかなって思ったからさ。大丈夫なんだったらいいんだって、来いって、楽しみにしてたんだからよ。ってかおまえそーゆうへそ曲がりなとこ変わってねえな!?」
 あきれて言うと伏見が拗ねたように口を尖らせ、袖口からナイフを一本滑らせた。
 刃を瓶の王冠の端に引っかけて器用に王冠を抜いた、その瞬間。
 ぷしゅーっ!
 間欠泉さながらの勢いで顔面めがけて中の液体が噴きだした。
 ……あ。そっち、たぶんさっき八田があっためたほうのやつだ。そのあとごたごたあって振りまわすことになったし。
 無の顔になって突っ立っている伏見を萌が見あげ、「さる、びしょびしょー」と涙に濡れた顔をほころばせてきゃっきゃと笑いだした。萌の機嫌に反比例して伏見の肩から陰気なオーラが滲みだすのを見て、
「よっしゃ、オレもつきあうか」
 と、八田は自分が持っている瓶を勢いよく縦に振った。「は? なに考えて……」ぽかんとした伏見を尻目に王冠を前歯でくわえ、豪胆に引っこ抜いた。わははと笑って正面から受けてやるつもりだったのだが予想以上の勢いで口の中に向かって液体が噴きだしてきたので「ぶわっ」とのけぞった。
「兄ちゃん、危ないことしたらダメよぉー」
 八つの妹にメッと注意されるという体たらくである。
 べたつく液体で泡だらけになった顔を伏見と見合わせた。「……ぷ」と、伏見の頬がゆるんだ。
「おまえバカだろ?」
「おう、バカならまかしとけ」
「威張んな。バーカ」
 バカバカしい会話で伏見と二人、声を立てて笑ったのは何年ぶりだろうか。
「もう、なにやってるのよあんたたちはー。二人とも帰ったらすぐ洗濯とお風呂よっ」
 腕白な小学生を扱うみたいに母に叱られ、二人で首を竦めて視線を交わしたのも、何年ぶりだろうか。

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