K RETURN OF KINGS After Stories

著 来楽零
 午前中に降っていた雨はすっかりやんでいた。スクナは雨上がりの道を一人でそぞろ歩く。紫とは現在別行動中だ。
 あの秘密基地を失ってから、スクナと紫は逃亡中の身だということもあって、確かな居所を定めることはせずに複数ある仮初めの拠点を転々としている。これからどうするかは、まだちゃんと話してはいない。ある程度状況が落ち着いたらこの辺りで潜める家を探すのか、あるいは石盤がなくなった今、関東からは離れた地で暮らすのか、それとも流れるように放浪するのか――
 スクナにとってはどうでもよかった。紫が思うように決めればいいと思う。別に投げやりになっているわけではない。スクナの今の目的は、目的を探すことだからだ。流がいなくなって、流の夢を自分の夢にして走ってきたスクナにはもう、目指す場所がない。だから今はそれを探さなければならない。そのための場所は今はどこだって構わない。
 ――いつかまた、どこかを自分の家みたいに思えるときが来んのかな。
 考えて、スクナは苦笑した。
 ほんの少しずつではあるが、スクナの異能は弱まっているらしい。そのことについて考えると、流からもらったものが体からこぼれ落ちていくような気がして泣きたくなるようなやるせなさに襲われる。だがそれが敗北というものだった。
 現状ではまだ、弱くなったという実感はないが、このまま異能が薄れ続ければいずれスクナはただの子供になるのだろう。紫にとって足手まといでしかない。それでも紫がスクナを連れていってくれる気があるらしいことにほっとしてもいた。
 紫から剣を習おうと思う。いつか異能がなくなったとしても、自力で戦えるように。
 紫と合流する予定の時間まで、まだ間があった。それまではやることもなく、かといってどこか店に入る気分でもなくて、スクナは人通りの少ない通りの、雨に濡れていない路面に腰を落とす。ポケットから携帯ゲーム機を取り出して電源を入れた。
 真っ黒だった液晶画面が明るくなり、ゲームが始まる。勇者が世界を救うために戦うという、陳腐でオーソドックスなストーリーのゲームだ。だがスクナはこの陳腐さは別に嫌いじゃない。わかりやすいし、何かを救うヒーローというのは確かにカッコイイものだと思う。
 ――だけど流が作ろうとしたのは、選ばれた勇者が世界を背負って戦うゲームじゃなくて、国王も、姫も、宿屋の親父も村人Aも、みんなが力を持って思うように生き抜く世界だった。
『おお ゆうしゃよ どうかわれわれを たすけてください』
 小さなゲーム画面の中で勇者に懇願する村人を、スクナはぼんやりと眺めた。
「五條スクナ」
 ふいに、すぐ近くから澄んだ声が聞こえた。スクナは顔を上げる。
 スクナと同年代くらいの、人形のように整った顔をした少女が、膝に手をやり軽く腰をかがめて、座り込むスクナをのぞき込んでいた。
 スクナは一瞬ぽかんとし、直後、相手が誰なのかを認識して、ざわりと全身の毛を逆立てる。
「《赤の王》櫛名アンナ……!」
 ――バカか俺は! 《吠舞羅》も《セプター4》もうろつく場所だってわかっていたくせに、何を無警戒にぼーっと座り込んでた!
 自分に舌打ちしたい気分でスクナが腰を浮かせると、アンナは一歩後ろに下がって敵意がないことを示すように両手を挙げた。
「待って。戦ったり捕まえたりする気は、ない」
 スクナはじりじりと立ち上がり、アンナを見据える。
「いいのかよ。《jungle》幹部の残党だぜ?」
「私は《セプター4》じゃないから。あなたを捕まえても、仕方ない」
 スクナは警戒は解かないまま、臨戦の構えだけは解いた。
「……じゃあ、なんで声かけた」
「気になったから。今、どうしてるの」
「言わねーよ。なんで敵に近況報告すんだよ」
 突っぱねても気を悪くする様子もなく、アンナは大きな目でじっとスクナを見上げている。本当にスクナをどうこうする気はないようだった。
 変な奴、と思う。ガキのくせに王権者なんてものに選ばれるのはやっぱり変人なのかなと思い、そういえば、流だって《王》になったのはこの目の前の少女と同じ子供の頃だったのだと改めて気づく。
 流の王様歴は、スクナの人生よりも長かったのだ。
 なんとなく、スクナの中からも毒気が抜けた。
 スクナは周りに視線を巡らせ、自販機を見つけた。そちらへ歩くと、アンナもとことことついてくる。
 スクナは自販機でココアを二本買い、一本をアンナに放り投げた。
「それ、飲む間だけ、休戦」
 敵対行動を取らないでいる言い訳が欲しくてそう言うと、アンナはこくりと頷き、ココアの缶を開けた。
「……今は、《jungle》の後始末してる。つっても、やれることあんまねえけど。これから先のことは……わかんねぇ」
 さっき突っぱねたアンナの問いに、スクナはぼそぼそと答えた。アンナはただ「うん」と頷く。
「私たちは、今は特に、前と変わってない。でもそのうち少しずつ、変わっていくと思う」
 お返しのようにアンナも言った。スクナは「ふーん」とどうでもよさそうな相槌を打つ。
 少しずつ変わっていく。当たり前だ。石盤が破壊された今、《王》もクランも在り方が変わっていくだろう。
 二人はしばらくの間、ビルの壁に寄りかかり、黙ってココアを飲んだ。わざわざ声をかけてきたくせに、アンナは特に会話を続けようとはしなかった。敵対者同士が並んで静かに缶の飲料を傾ける、奇妙な時間が流れる。
 缶の残りも少なくなり、底に甘さが沈殿した最後のココアをすすりながら、スクナはふと口を開いた。
「お前は、《王》の力で世界を変えてやろうと思ったこととかないの」
 アンナはスクナを見て、ゆっくりと首を横に振った。
「ない。私はそんな大きなものじゃなかった。ただ、大事なものを守りたかった」
「そんで流と戦ったわけ」
「《赤の王》であるからには、格好良くいたかった」
「ヒーロー気取りかよ」
 嫌みのようなセリフは吐いたが、アンナの言葉に嫌悪は感じなかった。その単純さを小気味よくさえ思った。
 スクナは、自分たちが現状の世界にとって悪なのだという自覚があった。世界をぐちゃぐちゃにする悪だ。だけど流は自分を悪だなんて思っていなかった。ぐちゃぐちゃになった中から真の世界が生まれるのだと信じていた。スクナはそんな流が好きだった。
 流が正しかったのかどうかは、もう誰にもわからない。
 スクナはココアを飲み干し、空き缶をゴミ箱に捨てた。アンナもそれに続く。
 これで休戦時間はおしまいだ。
「お前、俺と戦ったりする気はないっつったけど、むかついてることくらいあんだろ」
 スクナはアンナに向き直り、挑発的に言った。アンナは答えなかったが、目が肯定していた。
「殴ってもいいぜ」
 放り投げるようにスクナは言う。
 すると、だん、と赤い靴が一歩踏み込んだ。
 腰を使って大きく振りかぶられた小さな拳が、スクナの左頬にヒットする。
 人形めいた少女の拳とは思えない――第三王権者の拳だった。
 スクナは横様に吹っ飛び、壁にぶち当たって崩れ落ちる。
 いいと言われたので殴った。櫛名アンナはとても素直な少女だった。
 ――マジかよ。十二歳の女のパンチじゃねえぞ。当たり前か、ダモクレスの剣を失ったとはいえ、こいつ流とだってそこそこ戦った《王》だった。
 ぐわんぐわんと揺れる頭でそんなことを考えながら、スクナは顔を上げる。
 拳を振り抜いたままのポーズだったアンナは、どこか吹っ切れた様子で、また人形のようにまっすぐ立つ姿勢に戻った。
 スクナは口の中に溜まった血を吐き捨て、立ち上がると、汚れたコートをパンパンとはたく。
「…………」
 さて、なんと挨拶をして立ち去るべきか、と考えていると、アンナがビー玉のような瞳をまっすぐにスクナに向けて言った。
「あなたも、殴ってもいい」
「はぁ?」
 スクナは怪訝な顔をする。アンナは揺るがない視線をスクナに注いだまま、ゆっくり口を開いた。
「私は、石盤を壊したら比水流が死ぬと知っていて、あの計画を実行した」
 静かな少女の言葉が、スクナの情動を激しく揺さぶった。一瞬にして様々な感情が噴き上がる。怒り、悲しみ、絶望。それらがスクナの胸の内側を掻き回して痛みを与え、目が熱くなった。両の手を拳に握り、強く強く奥歯を噛みしめて、突き上げてきた涙の衝動を飲み込む。
 だが、激情は長くは続かなかった。
 すとん、とスクナの肩から力が抜ける。
「……戦意もない女、殴れるかよ」
 力ない口調で言った。アンナは黙ったままスクナを見つめ続けている。スクナは顔を上げ、アンナを見つめ返した。
「それに、俺たちは敵だった。だから戦った。……そんで、俺らが負けた。それだけだ。俺が今お前を殴る理由はねえ。ゲームに負けたからって場外で殴るような真似はしねーよ」
 けど。と言って、スクナは目を細めた。
「またお前と対立することがあったら、そんときは全力で戦う」
「わかった」
 アンナはスクナの言葉を受け止め、頷いた。
 それ以上アンナと交わすべき言葉もなく、スクナは踵を返した。遠ざかっていく背後で、アンナもまた歩き出す気配を感じる。
 ふと、スクナは足を止めて振り返った。
「櫛名」
 赤いコートの背中に声をかける。アンナは振り向いた。
「お前は、全然平気なの? 石盤壊して、《王》でもなくなって」
 アンナは少しの間考え込むように黙った。
「第三王権者の赤は、怖いものだった。それでも私にとって、とても大事なものでもあった。……けど、これでよかったと思ってる。後悔は、しない」
 言葉を選びながら話すように、ゆっくりとアンナは言った。
「そう」
 スクナは短く答え、再び歩きだそうとする。
「スクナ」
 今度はアンナの声がスクナを呼んだ。いきなり下の名前で呼びつけられたことにわずかにたじろぎながらアンナを見る。
「また、話せるといいな」
 そう言って、アンナはかすかに微笑んだ。スクナはなんとなく動揺してしまいながら、
「や、やだよ」
 と言って、今度こそその場を離れるべく足を踏み出した。

        *

 紫と合流すると、紫はスクナの顔を見て目を丸くした。
「あらまあ。どうしたの、その顔」
「うっせ。なんでもないよ」
 ぶん殴られた左頬の跡を紫から背けるように、ぷいとそっぽを向く。紫はそれ以上は詮索せず、くすりと笑った。
「いじめられたら紫ちゃんに言いなさいよ。笑ってあげるから」
「笑うのかよ!」
 ぷりぷりと言うと、紫は楽しげな顔をして歩き出す。並んで歩いていたら、紫が鼻歌で童謡の「あめふり」を歌い出した。
 スクナは青い空を見上げ、
「もう、雨はやんでるぜ」
 と言うと、紫は軽やかな声で「そうね」と答えた。

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