K RETURN OF KINGS After Stories

著 来楽零
 あの決戦で深手を負ったスクナの右腕も治癒し、腕を吊っていた三角巾もようやく取れた。
まだ動かしづらそうにはしているが、それもやがて癒えるだろう。
 紫は自分の斜め後ろを歩くスクナを横目で振り返り見た。スクナは遠い向こうを見る目をしながら歩いている。この子はこの子なりに、色々と考えることがあるようだ。
 紫の肩にはコトサカがとまり、くるくると小さな声で鳴いていた。コトサカもまた、あの決戦以降――比水と磐舟を失って以降、どこか大人しい。
「スクナちゃん、お茶していきましょうか」
 オープンテラスのあるカフェの前を通りかかり、紫は言った。遠くを見ていたスクナが視線を紫の顔に合わせる。ぱちりぱちりとゆっくりまばたきをしたあと、いいけど、と返事をした。
 テラス席に案内されてすぐ、スクナはトイレに立った。紫はスクナが戻るのを待たず、さっさと注文を済ませてしまう。
「見て見て、かわいい」
 ひそひそ声でささやく女の声が聞こえ、視線をやると、隣のテーブルに座る若い二人組の女性がコトサカを見ながら顔を寄せ合っていた。目が合ったので紫が微笑みかけると、彼女たちは顔を赤くしてどぎまぎし始める。
「あの……オウムですよね? 大人しく肩に乗っててすごーい。どっか飛んで行っちゃったりはしないんですか?」
「気が向けば好きなところへ飛んでいくし、帰ってくるわ」
 紫が答えると、彼女たちは黄色い声を上げてはしゃいだ。
「うそー、ちゃんと帰ってくるんだー!」
「何か芸できるんですか? しゃべったりとか」
「オウムくん、こんにちはー」
「コンニチハ」
 コトサカなりに気を遣ったのか、コトサカはオウムらしく女性の言葉を復唱した。二人の女性は実に嬉しそうにきゃあきゃあ騒ぐ。
 ふと気配を感じて紫が振り返ると、トイレから戻ってきたスクナがすぐ後ろに立って女性たちとのやりとりを眺めていた。その顔には実にわかりやすく「バカじゃねえの」と書いてある。
「スクナちゃんの分も注文適当にしちゃったわよ」
「……ああ、うん」
 スクナは仏頂面で答え、椅子の上に胡座をかくようにして座る。それを期に、すでに食事を終えていた女性たちは紫に会釈をして席を立った。
「あの二人、どんな関係だろ?」「兄弟かな? まさか親子じゃないよね」「まっさかぁ」などと会計に向かいながら彼女たちが小声でやりとりしているのが紫の耳に届く。
 どんな関係か。難しい問題ね、と紫は内心でつぶやいた。
 仲間であったのは確かだ。今もそれは変わらないだろう。
 だが紫とスクナを繋いでいたものは《jungle》であり、比水流であった。
それを失った今も行動を共にする二人の関係を、一言で言い表すのはなかなか難しい。
 紫は今までも、誰かと共に暮らしたことはあった。秘密基地では《jungle》の幹部連と寝起きを共にしていたし、もっと前は、三輪一言の下で弟弟子の夜刀神狗朗とも同じ屋根の下で過ごしていた。しかし紫はどこにいても「客」のような身分から脱しはしなかった。
 それらと比べると、今回は少々勝手が違う。
 紫は頬杖をついてスクナを見下ろす。スクナは不機嫌そうな顔で紫を――いや、紫の肩にとまるコトサカを見た。
「芸、だってさ。バカじゃねえの」
 スクナはぼそりとつぶやいた。どうやら、さっきの女性たちの言動が気に食わなかったようだ。
「お前も、何が『コンニチハ』だよ。ただのオウムぶりっこしやがって」
「可愛らしい子たちだったから、コトサカちゃんもサービスしたんじゃないの」
「オウムのくせに女に媚びてんじゃねーよ」
 スクナは口を尖らせた。
 普段はバカ鳥だなんだと言っているくせに、関係ない人間に見くびられると腹が立つらしい。
 コトサカはバサリと羽音を立てて紫の肩から飛び立ち、テーブルの上に下りた。スクナの言葉には特に反応を返さず、翼を広げて静かに羽繕いを始める。
「……こいつ、ちょっと元気ないよな」
 あなたもね、とは言わず、紫は「そうね」とただ相槌を打つ。スクナはガラスのテーブルの上に突っ伏して、下からコトサカの目をのぞき込んだ。
「コトサカは、流の側に最後までいたんだよな。イワさんとも最後に話したりしたのかな」
 紫やコトサカに話しかけたというよりは、ただの独り言のようだった。コトサカも何も言わず羽繕いを続けている。
 お待たせしました、と店員が朗らかな声で注文の品を運んできた。紫の前には紫芋のパフェを、スクナの前にはお子様ランチを置く。スクナは自分の前に置かれた子供向けのプレートを見て、ひくりと頬を引きつらせた。
「なんで、お子様ランチなんだよっ!」
 スクナは顔を赤くして紫を睨んだ。紫は軽やかに言葉を返す。
「スクナちゃんはお昼食べてないでしょ? ちゃんと食べないとダメよ」
「そうじゃなくて! なんでよりによってお子様ランチを選んだんだよっつってんの! こんなもん食う歳じゃねーよ!」
「あら、スクナちゃんお子様じゃない」
「ガキ扱いすんな!」
 ぷりぷりと怒るスクナを眺めながら、このくらい元気に怒ってる姿を見るのも少し久しぶりね、と紫は愉快に笑う。
「あなた最近いまいち食欲ないじゃない。お子様ランチなら少なめの量で品数が多いでしょ。私の気遣いよ」
 スクナはジト目で紫を見上げた。まだまだ文句を言いたそうな顔をしていたが、諦めたのか渋々フォークを持ち上げる。
「……こんなもん、ホントのガキの頃だって食ったことねえぞ」
「あら、そうなの」
 スクナは、てっぺんに旗が立ったチキンライスをフォークの先で不審そうにつつく。
「これ、なんで旗立ってんの?」
「子供が喜ぶからじゃない?」
「……そういや、イワさんもオムライスに楊枝と折り紙で作った旗を立てて出してきたことあったよな。あのおっさん、ずぼらなくせに変なとこだけ時々マメでさ」
 そのときのことを思い出したのか、スクナは少し表情を和らげて言った。
「すぐ人をガキ扱いしてきてむかついたけど、イワさんが作る飯、美味かったよな」
 言ってから、スクナはしんみりした自分を振り切るように、フォークでポテトを荒っぽく突き刺して口の中に放り込む。
「ええ。オムライスとか、チャーハンとか、カレーとか。そういう誰でも作れるけれど本当に美味しく作るのは難しい料理が、イワさんは驚くほど上手だったわよね」
 紫はその味を思い出して微笑む。スクナはフォークの先を軽く噛んでうつむいた。
「ビール飲みながらだらだら掃除機かけたり飯作ったりしてるおっさんってイメージしかなくて、イワさんも《王》だったとか、いまだに俺ピンとこねーよ」
「スクナちゃんはそれでいいのよ。ビールが好きでだらしなくて、美味しいご飯を作るイワさんのことをちゃんと覚えていてあげなさい」
 スクナは何か言おうとするが言葉が見つからない様子で口元をむにむに動かしながら視線を揺らした。
「……イワさんもだけど、流が戦ってる姿だって、俺は一回もちゃんと見たことなかった。
……見てみたかったな」
 口から言葉がこぼれ落ちるように、スクナは言った。悲しい湿り気よりも、少年の憧れが放つ純粋さの方が強く感じられる声音だった。
 比水流は敗北した。彼の夢が結実することはなかった。
 紫はそれを残念にも、寂しくも思うが、嘆きはしなかった。おそらく、破れた比水流自身もそうだっただろうと思っている。比水流は後悔というものをしない人だった。恐ろしいほどまっすぐに夢を見て、生ききった。
 紫は目の前の少年を眺める。流の死を知ったとき、スクナは手放しで号泣した。いつものように大人ぶることすらできずに泣きわめき、けれどやがて泣き止んで、自分の足で立って歩いた。
 スクナが流の夢に自分のすべてを賭けていたことを、紫も知っている。自分のすべてを――命を賭けて流が仕掛けるゲームに身を投じていた。
 それを失った今、スクナはまだ、自分がこの先進むべき場所を見出せずにいる。
 しかし、だからといってスクナは絶望してはいなかった。元気はなく、途方に暮れている様子でもあるが、少年の小さな頭蓋骨の中で彼の脳は働き続け、さまざまなことを考え続けている。
 比水流と、《jungle》と過ごした時間はこの少年の中で熟成され、「何か」になろうとしているのだろう。
 紫はふいに、かつての師匠の顔を思い浮かべた。
 あの人と違って、自分は人を育てるのは向いていないと思っていたが、案外悪くないものだと思う。
 ――あなたはどこまでお見通しだったのでしょうね、一言様。
「紫」
 スクナに呼ばれ、紫は物思いから引き戻された。
「なぁに?」
「怪我、だいたい治ったから。久しぶりにまた、手合わせしてよ」
 スクナはスープを一口すすりながら言った。視線はスープの水面に落としたままだ。紫はゆっくり瞬きをしてから答えた。
「……もう、当面は誰かと戦う予定もないのに?」
「強くなるのに、理由はいらないだろ」
 紫はスクナの返答に満足する。
「いいわよ」
 紫が頷くと、スクナは笑みを浮かべた。見慣れていた勝ち気な笑みとは違う、眉尻を下げた緩やかな微笑みだった。
 そんなスクナの顔を、テーブルの上のコトサカがじっと見上げている。
 スクナはコトサカの視線に気づき、少しの間無言で見つめ合った。
「…………食う?」
 スクナはコトサカの目から何を読み取ったのか、フォークでプレートの上のポテトを一つ刺し、コトサカの嘴に近づけた。コトサカは口を開け、それをついばむ。
 嘴を器用に使ってポテトを一本食べてしまうと、コトサカは「ウマイ」と言った。
「あっそ。よかったな」
「スクナ、ゲンキダセ」
「うるせ。お前に言われたくねーよ」
 会話する少年とオウムを眺めながら、紫は自分のパフェを口に運んだ。

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