K RETURN OF KINGS After Stories

著 宮沢龍生
 《セプター4》の副長、淡島世理はバー『HOMRA』を不定期に訪れることがある。
それはよく晴れた日。特に大きな事件が起こらなかった平穏な平日の終わりが多かった。
 私服姿で普段よりもほんのわずか柔和な表情。普段、きりりと結い上げられた髪は下ろされ、綺麗な光沢を放っている。
 草薙は軽く「おう、世理ちゃん」とか「いらっしゃい」などと声をかけ、注文を聞く前にカウンターの下にある食材を入れた冷蔵庫へと手を伸ばしていた。淡島は小さく黙礼をするくらいで特に言葉は発しない。
 優雅な動作でスツールに腰を下ろし、普段はあまり見せないリラックスした姿勢で草薙の手元を覗き込んでいる。
 草薙は手際よくタッパーからあんこを取り出し、
「はい、おまっとさん」
 気取った仕草で特製カクテルの上にトッピング。
「〝世理ちゃんスペシャル〟や」
 すっとカウンターの上でグラスを滑らせた。ポイントは生のあんこを上に乗せているだけではなく中身にも自作したあんこのリキュールを使用している点だ。
 この時点で淡島の口元が既に綻んでいる。
「ありがとう」
 まず長細いスプーンを器用に使ってあんこを口に運び、次にグラスの縁に艶やかな唇をつけ、中の黒色の液体を小さく啜る。
「いつも素晴らしい味ね」
 幸せそうな笑顔と共にそんな率直な賞賛が返ってくる。それなりに飲めるカクテルを作るのにだいぶ試作を繰り返した。その評価は素直にうれしい。
 あんこカクテルで機嫌の良くなった淡島と交わすのは大概、他愛のない話だった。互いの近況や所属するクランのこと。
 割とインテリな二人なので時には歴史や文学、音楽などに話題が広がることがある。それなりに気の利いたやりとりの中、大概、淡島は二杯目のお代わりまで注文する。そして要約すると〝今度、二人でどこか行かないか?〟というようなことを草薙が述べる。おどけた言い方の時もあるし、気障ったらしい言い回しの時もある。否定されることを前提にした形式的な戯れ言だ。
 だが、この日はなにかが違った。
「そうね」
 酔いのためほんの少し頬を上気させた淡島が小首を傾げながら答えた。
「そういうのもなしじゃないわね」
 当然、いつものようにあっさりと断られると思っていた草薙は一瞬、固まった。グラスを磨く手を止めたまま、目を見開いて声を発する。
「え?」
     *

 翌日、快晴の繁華街を楽しそうに歩く私服姿の淡島の姿があった。その後ろを大荷物を抱えた草薙がヨロヨロとついていく。淡島は振り返り、悪戯っぽく笑った。
「ほら、もう少し頑張って。次はあっちのおもちゃショップにも行くから」
「せ、世理ちゃん。少し休憩せえへん?」
 なんのことはない。《セプター4》の慰問先である幼稚園や養老院に持っていくプレゼントの買い出しに付き合わされただけだった。
〝男性の意見が欲しかったの。草薙君はセンスがいいから〟
 とは淡島の弁である。荷物持ちは〝レディに物は持たせられへん〟という理由で草薙が買って出た。その後、もう二軒ほどで買い物を済ませてからようやく草薙の希望は受け入れられた。二人、喫茶店に入り、ようやく一息をつく。草薙はコーヒー。淡島はミルクティー。
 草薙が笑いかけ、軽い冗談を言い、淡島がそれを受け、気の利いた言葉で返す。いつもの二人の他愛のない、それでいてウイットに富んだ会話が繰り広げられる。だが、しばらくして二人は違和感に気がついた。
 普段よりも言葉の応酬が途切れがちなのだ。
 正確に言うとお喋りをしていてもどこかぎこちなく、それ故、互いの顔を見ていることに微かな気恥ずかしさがつきまとう。それからほぼ同時に二人はその理由に気がついた。こうして語り合っている現在の時刻に問題があったのだ。
 草薙と淡島の逢瀬は基本的には夜。それもバーのカウンター越しに、客とマスターという関係性を持って行われていた。あんこカクテルという特異的な飲み物を提供しているバーとそのカクテルが目当てでやってくる味覚のやや変わった客。だが、今は明るい日差しが差し込んでくる喫茶店で、テーブルを囲み、アルコールが入っていない飲料を差し向かいたしなんでいる。その状態での二人は――。
 端からは、デート中の男女にしか見えないだろう。
「……」
「……」
 自然と沈黙の時間が長くなる。草薙はふっと肩の力を抜いて一度、笑い、それだけで己のペースを取り戻した。
「なあ、世理ちゃん。この後、時間ある? 俺、美味しいパスタ食べさせる店知っとるんやけど」
 それなりに女性経験が豊富な草薙ならではだった。多少、気まずくても柔らかな物言いでその空気を簡単に変えてしまう。
「……」
 淡島は目を細め、小さく笑った。
「――ええ、そうね。今日、買い込んだ荷物はもう屯所に送ったし、かまわないわ。今日は一日オフだから」
「決まりやな」
 草薙が明るく言う。淡島は一度、化粧直しに席を立った。
(おー。こんな展開は正直、予想はしとらんかったな)
 草薙は軽く伸びをし、それから自問する。
(ええんやろうな。こうやってゆっくり日常に戻っていっても)
 色々なことが変わっていく。その事実が彼の瞳をほんのわずか憂いで曇らせていた。その時、草薙のタンマツが着信する。見ると八田美咲からだった。草薙は薄目になってそれを見つめた。
なんだかやっかいごとの予感がして、そっと見なかったふりをする。
(すまんな。八田ちゃん。今、いいところなんや)
 片手で拝むポーズをとる。しかし、続けて、
「ん? 今度はアンナからか」
 彼の被保護者からも電話がかかってくる。さすがに無視はできないので応答すると、
「イズモ。大変。バーの下水道が壊れてミサキとリキオが直そうとしたんだけど」
 電話口の向こうから八田や鎌本が騒いでいる気配がする。きっと中途半端に手を出してかえってややっこしい事態を引き起こしてしまったのだろう。ふう、とため息が出る。それから彼は苦笑気味にこう答えた。
「分かった。アンナ、すぐ戻る」
 そこに迷いはなかった。そしてそのことをトイレから戻ってきた淡島に伝えようとしたところ、
「ごめんなさい。実は緊急の出動命令がかかってしまって、この後、行けそうにないの」
 奇しくも淡島の方も都合が悪くなっていた。タンマツに連絡があったそうだ。草薙はしばらくぽかんとした後、はは、と笑い出した。淡島が不思議そうにしていたので、自分の方の事情も伝える。すると、
「ふふふ」
 淡島もまたおかしそうに肩を震わせた。いかにも自分たちらしい展開だと互いが思っていた。
それから二人はごく自然な感じで別れの挨拶をし、それぞれ別の方角へと帰っていった。特に再会の約束はしていなかったが、草薙も淡島も知っていた。
 きっとまた深夜のバーで二人は顔をあわせるのだろう、と。

BACK

PAGE TOP